明治を生きた両親から学んだこと(村田 文子さん)

最終更新日時: 2017-11-29 11:14:11

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村田 文子さん京都市在住,明治45年生まれ

今回お話を伺えたのは,京都市にお住いの 村田 文子さん(インタビュー当時105歳,明治45年生まれ)。好奇心旺盛な少女時代で,幼い頃に発生した木津川の決壊という大変な災害も,「知りたい!見てみたい!」という思いから,近くまで見学に行くほど探究心が強かったそうです。

「小さいころ,学校の勉強もありましたが,父親が疲れているときは,率先して背中を踏んであげました。幼稚園から小学校1年生くらいの時は,身の軽い自分でしたので,少しでも力が入るよう,大黒柱にしがみつきながらね。」

そう語る村田さんは,お父さんとの思い出をすてきな笑顔で語ってくださいました。

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村田さんの十代の頃

「自分のことは自分でできるようにという両親の教えから,和裁専門学校にも通いました。言葉づかいにも厳しく,『女だからと甘えたらいかん。女性から男の子も女の子も生まれてくるのだから,女はしっかりしないといけない』と常々言われておりました。昔は男尊女卑とよく言われますが,父に言わせてみれば,そうじゃないと。『女性は,力はないけれども,言い方によって相手を喜ばせたり,悲しませたり,言葉は豊かな力を持っている。だからこそ,女性も言葉づかいをしっかりしないといけない。』こんな風に,今にも通用する考え方を教えてもらったように思います。」

明治時代は,まだまだ封建的な風潮がありましたが,村田さんのご両親は世の中の矛盾を鋭く感じ取りつつ,しなやかな家庭教育を実践されていたようです。
また,村田さんはこんなことも話してくださいました。

「ある日,父に,学校で教えてもらったことが分からないと相談したところ,学校での勉強の様子を案じた父は,母に学校での様子を見てくるように話しました。母の時代は,学校に4年しか通っていないのです。そんな母が,『私は,字は習っていても,難しいことは習ってこなかった。でも,親が学校のことをわからないままだと娘に勉強を教えてあげることすらできない』と考え,近所の人たちに,『一緒に学校に見学に行きましょう』と声をかけたそうです。はじめは,農作業が忙しい事を理由に賛成はしてくれなかったようですが,『どっちが大事ですか。食べることも大事です。でも,子供のこれからはもっと大事です。』と説得されました。村にいた副校長も,『そんなことを言ってくる親は初めてだが,親がわからないと確かに教えてあげることもできませんね。調整しましょう。』と言ってくださったようで,1年後に授業参観が実現しました。」

現代において当たり前に行われている “授業参観”は,ここから始まったのかもしれませんね。

ゆっくり,丁寧に思い出しながら語って下さった村田さんの思い出の中に,まさに「地域による,地域のための学校」が垣間見られたように思います。

明治時代,京都では,都市機能衰退の危機に直面しながらも,私たちの先人は,まっ先に小学校の創設に着手し,「まちづくりは人づくりから」と,未来の担い手の育成に力を注ぎました。村田さんのご両親の教えや行動は,「地域の子どもたちは地域で育てる」という理念,京都が誇る「はぐくみ文化」として,今に息づいているように思います。

貴重なお話,ありがとうございました。

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